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津地方裁判所 平成6年(ワ)117号 判決

原告

甲野春子

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

中村亀雄

段林和江

段林建二郎

被告

丙野秋男

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

樋上陽

西村秀樹

主文

一  被告らは、各自、原告らに対し、各金五五万円及びこれに対する平成六年五月三一日から支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは各自、原告らに対し、各金三三〇万円及びこれに対する平成六年五月三一日(被告丙野秋男に対する訴状送達の日である同月二八日の後。被告三重県厚生農業協同組合連合会に対する訴状送達の日の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

本件は、原告らが、勤務中被告丙野秋男から太腿部をさわられるなどのセクシュアル・ハラスメントを受けたと主張して、被告丙野に対し不法行為、その使用者である被告三重県厚生農業協同組合連合会に対し使用者責任・債務不履行に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等

1  原告甲野春子(以下「原告甲野」という)は看護婦として平成四年四月から、原告乙山夏子(以下「原告乙山」という)は准看護婦として平成五年八月から、被告三重県厚生農業協同組合連合会(以下「被告連合会」という)の経営する鈴鹿厚生病院「以下(「本件病院」という)に勤務している。なお、原告乙山は再就職であり、当初は昭和五〇年四月から同病院に勤務していた。

被告丙野秋男(以下「被告丙野」という)は、昭和四九年から被告連合会に雇用されて本件病院に勤務しており、本件当時は准看護士副主任であった。

2  本件病院は主に精神科を診療科目としており、病棟としては一病棟から七病棟まで設置している。本件当時、原告らと被告丙野は本件病院の一病棟に勤務していた。この一病棟は男子閉鎖病棟であり、病状の最も重い男子患者を収容している。

3  一病棟における深夜勤は、原則として男女一人ずつの二人一組で、午前〇時三〇分から午前九時まで病棟内巡視、諸検査等を行うものであった。一病棟の看護婦詰所内の休憩室は、広さが約7.5平方メートルであり、その中に三畳の畳を敷いていた(以下「本件休憩室」という)。職員らは、待機中、右休憩室にいることが多く、深夜勤の休憩時間以外に眠ることは禁止されていたが、実情は横になって休んだり仮眠する者が多かった(乙五、証人小倉、同山口、原告甲野、同乙山)。

二  原告らの主張

1  原告甲野に対する被告丙野のセクハラ行為

(一) 被告丙野は、平成四年五月ころから、一病棟において、すれ違いざまに原告甲野の背中や腕、お尻をさわるなどした。また、被告丙野は原告甲野に対し、「いいケツしてるな」「生理と違うか」「処女か」などと発言することがあった。

(二) 平成五年一一月一七日午前二時ころ、原告甲野と被告丙野が二人で深夜勤の勤務をしていた際、本件休憩室において、原告甲野が横になって休憩をとっていたとき、被告甲野は手をのばして原告甲野の肩から胸の方に手をかけてきた。そこで、原告甲野は手で払いのけて立ち上がった。

(三) 平成六年二月一日午前五時四〇分ころ、二人で深夜勤の勤務をしていた際、原告甲野が本件休憩室で座って壁にもたれていたとき、被告丙野が原告甲野の太腿を手でなでてきた。そこで原告甲野は立ち上がった。

(四) 本件休憩室内では、原告甲野は被告丙野に対し、「やめて下さい」と言葉では言えなかったが、右のとおり手で払いのけたり、立ち上がるなどして、その場所を離れたことで拒否の意思表示を示した。

2  原告乙山に対する被告丙野のセクハラ行為

(一) 被告丙野は原告乙山に対し、同原告が再就職した平成五年八月ころから一病棟において、すれ違いざまに原告乙山のお尻を撫でるようにさわったり、「いいケツしてるな」「今生理やでできやんな」などと侮辱的発言をした。

(二) 平成五年一二月七日午前二時三〇分ころ、原告乙山と被告丙野が二人で深夜勤の勤務をしていた際、原告乙山が本件休憩室で座って壁にもたれて雑誌を読んでいたとき、被告丙野が寝ころびながら、左手で原告乙山の太腿を撫でるようにさわってきた。そこで、原告乙山は手で被告丙野の左手を強打した。

(三) 同日午前四時ころ、原告乙山が本件休憩室で横になって雑誌を読んでいたとき、被告丙野が「夏ちゃんはバックがええんやな」などと言いながら寄ってきて、原告乙山の腰から胸にさわってきた。そこで、原告乙山は手で被告丙野の手を強打した。

(四) 平成六年一月二四日午前二時三〇分ころ、二人で深夜勤の勤務をしていた際、原告乙山が同所で同様の姿勢で雑誌を読んでいたとき、被告丙野が原告乙山の右膝関節あたりから太腿部をさわってきた。そこで、原告乙山は手で被告丙野の手を強打した。

(五) 同日午前四時一〇分ころ、原告乙山が同所で毛布で体をくるんで腹這いになって雑誌を読んでいたとき、被告丙野は毛布の中に手を入れて、原告乙山の胸、腰をさわった。そこで、原告乙山は手で被告丙野の手を強打した。

(六) 右のとおり、原告乙山は、本件休憩室内で被告田所の手を自己の手で強打するなどして拒否の意思表示をした。

3  原告らの配転

被告連合会は、被告丙野が有能な看護士であるという理由で同被告に対し厳重な注意をしない上、原告らが配転を希望していなかったにもかかわらず、被告連合会は平成六年四月一日原告らを他の病棟へ配転した。

4  被告丙野の不法行為

被告丙野は原告らの上司であるところ、前記のとおり勤務中に看護婦である原告らにひわいな発言をしたり、身体への性的な接触をすることによって、原告らの性的な自由、性的自己決定権を含む人格権を侵害し、働きやすい職場環境のもとで働く権利を侵害したものであり、セクシュアル・ハラスメント(以下「セクハラ」という)として不法行為に該当する。

5  被告連合会の責任

(一) 使用者責任

(1) 被告丙野は被告連合会の被用者であり、被告丙野の本件不法行為は業務遂行中の行為で、業務に密接に関連して行われたものであるから、被告連合会は使用者責任を負う。

(2) 被告連合会の本件当時の監督責任者は、山口隆久院長(以下「山口院長」という)、小倉益男事務長(以下「小倉事務長」という)、広田勝子婦長(以下「広田婦長」という)、清水重幸主任(以下「清水主任」という)であったところ、同人らは、男子閉鎖病棟の深夜勤を男女二人で行わせ、狭く密室性の高い休憩室を一緒に使用せざるをえない状態を放置し、職場における看護士(男性)優位の差別的慣行を維持し、深夜勤における本件セクハラ発覚後も当事者を同じ職場で引き続き勤務させるなどして適切な処置を怠り、被用者にとって働きやすい職場環境を保つように配慮する義務(使用者が社会通念上負う職場環境配慮義務)を怠った。

したがって、右監督責任者らの原告らに対する不法行為が成立し、被告連合会は使用者責任を負う。

(二) 債務不履行責任

被告連合会は、労働契約に基づき信義則上、右内容の職場環境配慮義務を負うにもかかわらず、これを怠り、その結果本件セクハラ行為を招いたものであるから、原告らに対し労働契約上の債務不履行責任を負う。

6  原告らの損害

(一) 原告らは、被告らの前記行為により著しい精神的苦痛を被った。これに対する慰謝料は各三〇〇万円を下らない。

(二) 原告らは本訴提起を原告ら代理人に委任した。この弁護士費用としては各三〇万円が相当である。

三  被告らの主張

1  被告丙野の日常的な言動について

(一) 精神病棟においては、入院患者が看護婦・看護士の後から抱きついてきたり、尻をさわってくることがしばしばある。看護婦・看護士は、これを優しく容認し、逆に患者の尻をなでるなど、スキンシップを重ねつつ看護に務めている。

このような中で、看護士らは患者に対し「尻を出して」といいつつ軟膏等の処置をしたり、患者を安心させるために「いい尻しとるなあ」等の言葉をかけたりしている。また、初めての入院患者に対し、入院が初めてという意味で「処女やなあ」と言ったり、精神科の処置・介助が初めての看護婦に対し、「処女や」との冗談を言うことは日常ありうることであった。

精神病棟においては、このような言葉や会話が飛び交っているのが、日常であった。

(二) 右のような事実は、数名の看護婦・看護士のいる中での他意のない冗談であって、被告丙野のみの言動ではなかった。

2  深夜勤の際の原告甲野に対する被告丙野の行為について

(一) 本件休憩室は、夜勤者が身体を横たえて休憩をとったり、仮眠する場所ではない。しかし、原告甲野は夜勤中眠ることが多かった。平成五年一一月一七日午前二時ころも、原告甲野は眠っていたので、被告丙野は「仕事せないかん」という意味をこめて、原告甲野の肩あたりに触れて揺り起こした。

(二)平成六年二月一日は、前夜看護婦の送別会が行われ、原告甲野はアルコールも入っていたせいか、午前三時ころから休憩室で眠り出した。午前五時三〇分ころ、原告甲野が毛布を掛けて眠っていたので、被告丙野はもう起こさねばと思い、毛布の上から同原告の太腿部あたりを手で揺り動かした。

3  深夜勤の際の原告乙山に対する被告丙野の行為について

被告丙野が原告乙山に対し、数回にわたって太腿部・腰部・肩のあたりに触れたことは認める。

しかし、これらの行為はほんの一瞬のことであり、同原告から手をたたかれると、被告丙野は手をすぐ引っ込めて、それ以上の行為に及ぶことはなかった。被告丙野にとっては、看護婦に対する甘えと、この程度なら許されるとの誤解に基づくものであり、他意は全くなかった。

なお、平成五年一二月七日午前二時三〇分ころの件については「被告丙野は寝ころびながら左手で太腿部をさわった」ことはなく、原告乙山の横に腰を下ろして一瞬触れた程度である。また、平成六年一月二四日午前四時一〇分ころの件については「被告丙野は腹這いになって雑誌を読んでいた原告乙山の毛布の中に手を入れて同原告の胸、腰をさわった」ことはなく、上向きに毛布を被って寝ていた同原告の肩のあたりに触れたにすぎない。

4  原告らの配転について

原告らの配転は、毎年の定期配転であり、しかも本件病院内で、原告甲野は一病棟から二病棟への配転、原告乙山は一病棟から三病棟への配転であって、職場の環境、労働条件等を比較しても不当な配転ではない。

5  セクハラと被告丙野の不法行為責任について

(一) セクハラと呼ばれる行為のすべてが、常に不法行為を構成するわけではない。セクハラについて不法行為が成立しうるのは、性的言動への服従が個人の雇用条件に結び付けられたり、雇用条件の決定の材料となる場合である(対価型ハラスメント)。

しかし、性的な言動が個人の職務遂行に干渉したり、強迫的あるいは不快な労働環境を作るような場合(環境型ハラスメント)には、不法行為の成否を慎重に検討すべきである。

不快か否か、働きやすい職場環境か否かは、極めて個人差のある概念であるから、「合理的な平均人」を基準とするか、「当該個人の主観性」を基準とするかについても、慎重な検討を要する。

(二) 被告丙野の前記行為は、瞬時に近く、目的としても原告らに対する職務上の注意を与えたり、冗談または仲間同志の馴れ合い感、近親感の表れにすぎない。そして、本件においては、原告らに対し、叱責・威嚇・無視等の不利益や嫌がらせ、その他の差別的言動は一切なかった。さらに、被告丙野は副主任ではあったものの、人事権や労働条件を変更する権限はなかった。

したがって、被告丙野の前記行為には違法性がなく、その程度の行為では原告らに対する権利侵害性もなかった。

6  被告連合会の責任について

(一)(1) 被告連合会は、職場環境を改善するため、平成三年秋、一病棟の休憩室の全面改修工事を行った。そして、職員の要望により畳敷とした。

(2) 一病棟は男子閉鎖病棟で、最も病状の悪い患者の入院病棟であるので、深夜勤担当者としては体力のある男子とそれを補助する女子の組み合わせが必要不可欠である。

(3) 被告連合会は、毎月定期の院内勉強会、職員の研修会等、相当回数にわたって研修会を行ってきた。

(4) 被告連合会は、本件病院に、院長・婦長・事務長、各病棟ごとに主任・副主任等の役職を設けて責任態勢を確立し、各々が立場に応じて日常の職場内の指導監督を行ってきた。

(5) 被告丙野の本件行為を初めて広田婦長が知ったのは、平成六年二月一日であり、婦長・院長・事務長らは、翌日から関係者の事情聴取を行い、同月八日には一病棟勤務者を交えて、院長らが話し合いの場をもった。本件病院はその結果を被告連合会に報告し、被告連合会は審議の上、同月二八日、被告丙野を就業規則七三条四項に基づき七二条一項の制裁教戒処分に付し、副主任の役職を解いた。

被告丙野は、被告連合会に対し反省の誓約書を提出し、被告連合会は原告甲野に対し事務長・婦長連名の謝罪書を提出した。

また被告連合会は、同月九日から、とりあえず勤務表を変更して原告らを夜勤からはずし、同年三月一日以降は原告らと被告丙野が夜勤で組むことのないように勤務表を作成した。

その後、職員の定期異動を行い、同年五月一日付で被告丙野を六病棟へ配転した。

(二) 以上のとおり、被告連合会は、施設・人的配置・日常教育等についてできる限りの指導監督を行ってきたほか、本件が発覚するや、速やかに事後措置をとったものであり、民法七一五条一項但書にいう事業の監督につき相当の注意をなしたものと認められる。

また、右の次第で、被告連合会は、職場環境配慮義務を尽くしてきたものと認められる。

したがって、被告連合会は、使用者責任、債務不履行責任を負うものではない。

四  本件の争点

1  被告丙野の原告らに対する不法行為の成否

2  被告丙野の不法行為と被告連合会の使用者責任の成否

3  被告連合会の職場環境配慮義務違反と使用者責任又は債務不履行の成否

第三  争点に対する判断

一  被告丙野の原告らに対する不法行為の成否

1 証拠(甲一九、三〇、三一、三二、三六、検甲一ないし九、乙一、乙二の1・2、乙五、乙六の1ないし4、原告甲野、同乙山、被告丙野(後記認定に反する部分を除く))によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告らが一病棟に勤務して以来、被告丙野は、勤務中、すれ違いざまに突然、原告らの臀部などをなでるようにさわることがあった。また、被告丙野は原告らに対し、勤務中、「いいケツしとるな」「生理と違うか」「処女か」などと言うことがあった。

(二)  被告丙野は、原告甲野と二人で深夜勤をしていた際、本件休憩室において同原告に対し次のような行為を行った。

(1)  平成五年一一月一七日被告丙野と原告甲野は深夜勤を行っていた。同日午前二時三〇分ころ、本件休憩室において、原告甲野が頭を壁にもたれて、仰向けになって毛布を胸のあたりまでかけてうとうとしていた際、被告丙野は手をのばして、原告甲野の肩から胸のあたりをさわった。原告甲野は驚いて、とっさに被告丙野の手を払いのけて立ち上がり、詰所に逃げた。

(2)  平成六年二月一日被告丙野と原告甲野は深夜勤を行っていた。同日午前五時四〇分ころ、原告甲野が休憩室の入口の近くで、頭と背中を壁にもたれ、足を延ばして休んでいた際、被告丙野は何も言わずに同原告の太腿部をさわった。原告甲野は驚いて立ち上がり、詰所に逃げた。

(三)  被告丙野は、原告乙山と二人で深夜勤をしていた際、本件休憩室において同原告に対し次のような行為を行った。

(1)  平成五年一二月七日被告丙野と原告乙山は深夜勤を行っていた。同日午前二時三〇分ころ、本件休憩室において、原告乙山が頭と背中を壁にもたれて足を延ばして雑誌を読んでいた際、被告丙野は「夏ちゃん、昔はよかったのう。」と言いながら、左手で原告乙山の右膝関節あたりから太腿部にかけてなでるようにさわってきた。原告乙山は驚いて被告丙野の左手をたたいて払いのけると、被告丙野は黙って左手を引き、同原告から離れて寝てしまった。

(2)  同日午前四時ころ、被告丙野が寝ていたので原告乙山が一人で巡視をして休憩室に戻り、仰向けに寝ころんで胸まで毛布を被り雑誌を読んでいた際、目を覚ました被告丙野は、「夏ちゃんはバックがええんやろ。」と言いながら、左手で毛布の上から原告乙山の腰から胸にかけてなでるようにさわってきた。原告乙山は被告丙野の左手をたたいて払いのけると、被告丙野は黙って手を引き、同原告から離れて寝てしまった。

(3)  平成六年一月二四日被告丙野と原告乙山は深夜勤を行っていた。同日午前二時三〇分ころ、本件休憩室において、原告乙山が頭と背中を壁にもたれて足を延ばして本を読んでいた際、被告丙野は昔のことを話しながら、左手で原告乙山の右膝関節あたりから太腿部をなでるようにさわってきた。原告乙山は被告丙野の左手をたたいて払いのけると、被告丙野は黙って手を引き、同原告から離れて寝てしまった。

(4)  同日午前四時一〇分ころ、原告乙山は毛布を肩から足先まですっぽり包み腹這いになって雑誌を読んでいた際、寝ていた被告丙野は目を覚まして、その手を毛布の中に入れて原告乙山の胸、腰などをなでるようにさわってきた。原告乙山は被告丙野の手をたたき、立ち上がると、被告丙野は黙って手を引いた。

2 以上の事実が認められる。

これに対し、被告丙野は、原告甲野を最初にさわったのは平成五年一一月一七日ではなくて同年九月だと思う。そのときは寝ていた原告甲野を起こすために肩をさわった、平成六年二月一日には寝ていた原告甲野を起こすために、同原告がかけていた毛布を足の方から膝あたりまでめくって膝から太腿部を揺すった、と供述する。しかし、前掲各証拠に照らし、右供述を採用することはできない。特に、寝ていた原告甲野を起こすために毛布をめくって膝から太腿部をさわる必要は全くない。

次に被告丙野は、平成六年一月二四日午前二時過ぎ原告乙山の膝をさわったのは、原告乙山が読んでいた本をのぞこうとしてさわっただけである、同日午前四時三〇分ころ横になっていた原告乙山の肩か胸をさわったのは、問題のある患者への処置を相談するつもりであった、と供述する。しかし、前掲各証拠に照らし、右供述を採用することはできない。特に、横になっていた原告乙山に相談するには声をかければ足りると考えられ、胸などをさわる必要は全くないといわざるをえない。

3 また被告丙野は、本件病棟ではスキンシップやひわいな冗談が飛び交っており原告らに対する言動も他意はなかったと主張する。

しかし、看護士・看護婦と患者の間はともかくとして、男性看護士と看護婦が勤務中にスキンシップする必要性は全く考えられない。特に、深夜勤の休憩室における被告丙野の前記行為は、原告らに対し数回にわたる執拗なものであって、短時間の行為とはいえ他意はなかったとすませることはできない。このような被告丙野のひわいな言動は原告らにとって嫌悪感をもよおすものであり、第三者からみても冗談の範囲を越えていたと思われるが、被告丙野は副主任の准看護士であり、原告らによって上司にあたることもあって、原告らは監督責任者に対し早期に訴えることができなかった(原告らの供述、弁論の全趣旨)。

したがって、被告丙野の右主張を採用することはできない。

4 以上の次第で、被告丙野の前記行為は、原告らに対し、いわゆる環境型セクシュアル・ハラスメントに当たり、不法行為に該当すると認められる。

二  被告丙野の不法行為と被告連合会の使用者責任の成否

1  被告丙野は被告連合会の被用者であること、被告丙野の本件行為が業務中に行われたことは争いがない。

原告らは、被告丙野の不法行為は業務に密接に関連して行われたものであると主張する。しかし、本件の深夜勤務中の行為は、業務中、休憩室において行われたものとはいえ、前記のとおり原告らを起こしたり呼びかけるための行為とは認められず、被告丙野の個人的な行為であるから、業務を契機としてなされたものではなく業務との密接は関連性は認められない。また、被告丙野の日常勤務のひわいな言動は、やはり被告丙野の個人的な行為と認められる上、右深夜勤務中の行為と相まって不法行為となるものであると考えられるので、右言動のみについて被告連合会の使用者責任を認めることもできない。

2  したがって、被用者である被告丙野の不法行為に基づいて、被告連合会の使用者責任を認めることはできない。

三  職場環境配慮義務違反と被告連合会の責任の成否

1  使用者は被用者に対し、労働契約上の付随義務として信義則上職場環境配慮義務、すなわち被用者にとって働きやすい職場環境を保つように配慮すべき義務を負っており、被告連合会も原告ら被用者に対し同様の義務を負うものと解される。

2  証拠(甲野三〇、三二、三六、三七、三八、乙三の1ないし4、乙六の1ないし4、乙七ないし一四、証人小倉、同山口、原告甲野、同乙山)によれば次の事実が認められる。

(一) 前記のとおり、被告丙野には、従前から日常勤務中特にひわいな言動があった。

(二) 平成五年一二月一三日、原告乙山は清水主任に対し、被告丙野と深夜勤務をやりたくないと申し入れたが、同主任は何も答えず、その理由も聞かなかった。原告乙山は、被告丙野の休憩室での前記行為を清水主任に言いづらくて言えなかった。

(三) 原告乙山は清水主任に対し、平成六年一月二八日、「被告丙野が深夜勤のときに体をさわってくる。毛布の中まで手を入れられてさわられた。被告丙野と夜勤をしたくない。何とかしてほしい。」と訴えた。しかし、同主任はなかなか原告乙山の話に耳を傾けず、「あいつは病気や。」と言っていたが、最後には「何とかする。注意する。」と言った。その場には、岡部看護士、森中主任、稲垣副主任らがいた。

しかし、清水主任は広田婦長にこの話をせず、被告丙野に対し注意もしなかったので、同月三一日、原告乙山は他の看護婦に対し、深夜勤のとき被告丙野にさわられたかと聞くと、原告甲野を含めて三人の看護婦がさわられたと答えた。そこで、同日原告乙山は清水主任に対し、再度被告丙野への対処を申し入れたが、同主任は「今日一日だけ待ってくれ。」と言うにとどまった。

(四) 同年二月一日、原告乙山は広田婦長に対し被告丙野の前記行為について訴えた。広田婦長・山口院長・小倉事務長らは、同日から被告丙野、看護婦ら関係者の事情聴取を行い、同月八日には一病棟勤務者を交えて、院長らが話し合いの場をもった。本件病院はその結果を被告連合会に報告し、被告連合会は審議の上、同月二八日、被告丙野を就業規則七三条四項に基づき七二条一項の制裁教戒処分に付すとともに、副主任の役職を解いた。

被告丙野は、被告連合会に対し反省の誓約書を提出し、被告連合会は原告甲野に対し事務長・婦長連名の謝罪書を提出した。

なお、同月九日から、とりあえず勤務表を変更して原告らを夜勤からはずし、同年三月一日以降は原告らと被告丙野が夜勤で組むことのないように勤務表を作成した。

3 右認定事実及び前記争いのない事実を総合すると、被告丙野には従前から日常勤務中特にひわいな言動が認められたところ、被告連合会は被告丙野に対し何も注意をしなかったこと、清水主任は平成五年一二月の時点で原告乙山から被告丙野との深夜勤をやりたくないと聞きながら、その理由を尋ねず、何ら対応策をとらなかったこと、平成六年一月二八日清水主任は原告乙山から被告丙野の休憩室での前記行為を聞いたにもかかわらず、直ちに広田婦長らに伝えようとせず、被告丙野に注意することもしなかったこと、その結果同年二月一日深夜被告丙野の原告甲野に対する休憩室での前記行為が行われたことが認められる。

その上、一病棟の患者の性質上、深夜勤において男女一人ずつの組み合わせが必要なことは被告連合会自身主張しているところである。さらに前記のとおり、深夜勤の勤務者は、巡視等の待機中、看護婦詰所内の狭い本件休憩室にいることが多く、しかも同室内で横になって休んだり仮眠する者が多いのが実情であった。

そうすると、被告連合会は、平成六年二月一日以降被告丙野の行為について対応策をとったものの、それ以前には監督義務者らは何らの対応策をとらずに被告丙野の行為をみのがして、同日早朝の被告丙野の原告甲野に対する行為を招いたと認められる。

なお、被告連合会は、婦長・主任・副主任らの責任態勢を確立し、毎月定期の院内勉強会、職員の研修会等を行うなど、職員に対する指導監督を尽くした旨主張するが、右の次第で職場環境配慮義務を尽くしたとは認められない。

4 したがって、被告連合会は原告らに対する職場環境配慮義務を怠ったものと認められ、その結果被告丙野の休憩室での前記行為を招いたといえるから、原告らに対し債務不履行責任を負う。

四  原告らの損害

1  原告らは、被告丙野の不法行為及び被告連合会の債務不履行により、著しい精神的苦痛を被った。被告丙野の右行為の態様・性質・回数等の諸事情を考慮すると、これに対する慰謝料としては、各五〇万円を相当とする。

2  原告らは原告ら代理人に対し本訴提起を委任した(弁論の全趣旨)。右不法行為等と相当因果関係のある弁護士費用としては、各五万円をもって相当と認める。

3  したがって、原告らは、被告ら各自に対し、各金五五万円の損害賠償請求権を有するものと認められる。

五  結論

よって、原告らの請求は、被告ら各自に対し、各五五万円の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求はいずれも理由がない。

(裁判官新堀亮一)

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